がんばる商店街
山形県高畠町
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おすすめスポット 旧高畠駅
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  旧高畠駅舎は、昭和9年(1934年)に木造の駅舎を、初代高畠駅長で鉄道技師でもあった長島多吉さんの設計により、地元で採取した凝灰岩「高畠石(瓜割り丁場)」を使用し高畠石の玄関口にふさわしい重厚な駅舎が完成しました。
  アーチ型に組まれた石枠にはガラス窓、車寄せを思わせる駅の玄関口、屋上には整然と並べられた装飾の石など、贅をつくした駅舎です。
  近年はこの旧くてモダンな駅舎に惹かれ、テレビドラマや映画の撮影に利用されております。
◆ 高畠鉄道
  明治20年代から30年代にかけて、高畠でも長谷川製糸工場や両羽製糸所などの他、多くの製糸場が操業を始、33年4月に糠ノ目駅が開業しました。人々の地場産業振興の意気が高まると、当然、製品の輸送についての関心が高まるようになり、高畠鉄道が誕生したのです。
  戦前は、宮城県七ヶ宿町湯原鉱山、二井宿の二重坂鉱山の鉱石、二宿井・高畠の木材・木炭、牛、乳製品・石材、高畠・屋代の製糸・米、西洋梨・林檎・葡萄などの果物等の輸送が盛んに行われておりました。
  戦後になり、貨物輸送はトラック輸送に変わるまで続けられておりましたが、徐々に人々の足としての役を担うようになり、昭和28年には約62万人(一日平均約1700人)の乗客を運びました。またこの年の鉄道による輸送量は次のようになっています。
  木材・製材:2071トン パルプ材:1759トン ミルク:453トン
  米:2350トン 家畜:1036トン 石材:422トン 
  木炭:268トン 鉱石:340トン 果物:1501トン 
  製糸:417トン
  しかしながら、徐々に高畠鉄道の利用が減少し、50年余の歴史を残し、その役目を終えました。
 多くの乗客に愛され「マッチ箱」の愛称で親しまれた小さな客車は愛知県の「明治村」にうつり、その線路跡は「まほろばの緑道」として生まれ変わり、元駅公園には電気機関車、貨車、電車各一輌が静態保存されています。そして、糠ノ目駅はJR高畠駅と名を変えました。
 
◆ 略 史
明治33年 4月21日  奥羽線糠ノ目駅が開業
大正 9年 1月 2日  高畠町長新野広吉氏や町内有力者の間で鉄道施設議起こる 
大正10年 2月15日  高畠鉄道株式会社設立 社長 新野弥文次氏
大正11年 3月13日  糠ノ目・高畠間(5,2km)蒸気機関車検引で営業を開始
大正13年 8月31日  二井宿まで延長、全線10,5kmで営業
                糠ノ目・一本柳(停)・竹の森・高畠・安久津(停)・駄子町(停車)・上駄子町(停)・二井宿
大正15年 7月 1日  一本柳停留所が屋代村有力者の寄付により駅に昇格
昭和 4年 9月 1日  全線電化になる。第2代社長 相田広吉氏
昭和 9年 9月30日  高畠駅舎を石造り(高畠石)2階建に改築
昭和18年10月 1日  戦時特例で県内交通業者が合併し山形交通株式会社となる
                第3代社長 長谷川平五郎氏
昭和25年12月 1日  東高畠駅を新設する
昭和30年 8月 1日  安久津(停)を八幡宮・駄子町(停)を蛭沢に改称する
昭和42年 8月15日  水害のため屋代川鉄橋が沈下。高畠・二井宿間が通行不可能となりバスの代行運転となる
昭和43年10月 1日  高畠・二井宿間の営業を廃止する
昭和49年11月15日  諸般の事情により高畠・糠ノ目間の営業を廃止する
 
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